四半世紀

自分の体感としての衝撃は、幼さ故に忘れてしまっても、その日自分の身に起きたことは覚えている。
揺れていた額縁(忘れもしない、セーラームーンのパズルが入れてあった)、体育座りをして並んだ体育館。
そして、後にやってきた転校生。

そうした、自分の身の回りのことだけは断片的に残っているけれども、「テレビで見た風景」は後年の記憶のような気がする。

「がんばろうKOBE」の印象が強いのは、野球を観る家だったせい。
仰木監督も今はもういない。
オリックス・ブルーウェーブも、もうない。

四半世紀もあれば、変わったことがたくさんある。
なくなるばかりでなく、新たに生まれたものもたくさんある。

わたしたちは。
きちんと過去から学べているだろうか。
過去から託されてきたものを、受け継ぎ、未来をつくれているだろうか。

…今日はじめて、この日に神戸にいる。

朱鳥 akamitori

すべてのひとが、心安らかに日々を歩んでいけるように。 神仏のお言葉をお伝えし、曇りを祓っていきます。

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