田児の浦ゆ

「田児の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ」

この歌をご存じの方は、多くいらっしゃることだろう。

百人一首にはこのように編まれていながら、初出の万葉集においては

「田児の浦ゆ  うち出でて見れば ま白にそ
富士の高嶺に  雪は降りける」

となっており、いくつかの変更が加えられていることになる。

さらに、実際はこの歌の前に「長歌」と呼ばれるものが存在するのだ。
長歌の要約や補足をして後に付け足すものを反歌といい、かの歌はそれにあたる。

「田児の浦ゆ〜」を付された長歌は以下。

天地の  分れし時ゆ  神さびて
高く貴き  駿河なる  富士の高嶺を
天の原  ふり放け見れば 渡る日の
影も隠らひ 照る月の  光も見えず
白雲も  い行きはばかり  時じくそ
雪は降りける  語り継ぎ
言ひ継ぎ行かむ  富士の高嶺は

山部赤人は700年代のひとであるから、
それから1300年余り、実際に「富士の高嶺」は「語り継ぎ」「言ひ継ぎ」されてきたのだと思うと、感嘆してしまう。

現在の「田子の浦」と「田児の浦」は異なる場所にあるらしいが、
それでも東田子の浦駅を通り過ぎた時にはこの歌を思い出さずにはいられなかった。

ところがそれはわたしだけではなかったようで、向かいに座っていたおじいさんがお孫さんに「田児の浦に〜」と歌い出したのだ。

「田児の浦ゆ」は1300年を生き、同じような心でわたしたちは今も富士山を称えている。
そして「田児の浦ゆ」もまた、「語り継ぎ」「言ひ継ぎ」されていくのだ。

朱鳥 akamitori

すべてのひとが、心安らかに日々を歩んでいけるように。 神仏のお言葉をお伝えし、曇りを祓っていきます。

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