境目
大掃除。
とっくのとうにいないひとの痕跡を見つける。
そのひとが亡くなってしまっても、「今ここ」にそのひとがいた証がある。
いつも思うのは、例えば亡くなったひとの映像を見ている時、
そのひとはこの現在のこの瞬間において、生きているひととどれだけ違うのだろう、ということだ。
シャッフルで流れる音楽に耳を傾ける時、亡くなったことを知っているひとの歌と生きている(だろう)ひとの歌は、区別し切れるのか。
亡くなった著者の言葉を、ページを繰りながら頭の中で反芻する時。
そんな例はいくらもあるだろう。
わたしには、それらを切り分ける術がない。
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